2006年05月30日

Web 2.0の中味と外側

Web 2.0が人々を虜にしている。Web 2.0が何かという問いは、その中味ではなく、その外側に対して発せられなければならない。次世代のビジネスモデルが見え隠れするWeb 2.0の潜在的な魔力とは?という記事。

貼っておきます。ぺたと。

少し思い出話をしよう。筆者の実家では、祖父母が酒屋を営んでいた。酒屋とはいうが酒だけを扱っていたわけではなく、タバコや切手、果物、駄菓子、洗剤など、生活に必要なものはなんでも扱っていた。今で言えば、和風コンビニといったところか。

 筆者が小さい頃は今のように、お菓子はすべてパッケージングされていたわけではない。もちろんキャラメルなどは当時から箱に入っていたが、あられやせんべいのようないわゆる米菓は、ガラスのフタの付いた、大きな平台のケースに入れられ、量り売りだったものである。

 この量り売りというのは、考えようによっては非常に優れたシステムであった。今でもスーパーの精肉売り場あたりでは量り売りもあるが、これはグラム単位で値段が決まる。しかし昔の駄菓子の量り売りというのは、10円分とか50円分でどれだけ、という売り方なのである。つまり最初から必要な量がわかっているわけではなく、わかっているのは自分の懐具合だけだ。

 このやり方は、貧富の差が確実に目に見えるような時代には優しい。子供らは今日のお小遣いである10円玉や50円玉を握りしめて、これで買えるだけのお菓子をください、とやってくるのである。売る方も一応量りにはかけるものの、厳密に1グラム単位で増減するわけではない。目分量で量ってだいたい合ってたら、それで売ってしまう。

 今で言えば接客係であったうちのばあちゃんは、顔なじみになれば多少オマケし、初めてのお客にはサービスでオマケし、結局誰にでもオマケしていたものである。だがそれが口コミで評判になり、学校が終わったあとは、子供たちが大挙して押しかけることになる。

Web 2.0に中味はない

 「Web 2.0」というキーワードは、それが提唱された昨年よりは若干落ち着いて扱われるようになってきたかな、という印象を持っている。インターネットの各用語集サイトにも、一応それらしい解説付きでキーワード登録されており、「Web 2.0って何?」という疑問には答えられるようになっている。

 だがそれを象徴するものは何かと言えば、すでに存在する技術であったりサービスであったりする。中味をのぞいてみれば、新しいものは何もない。つまりWeb 2.0が何かという問いは、その中味に対してではなく、その外側に対して発せられなければならないのである。

 この問いが、単純に次世代のインターネットのあり方を差すだけであれば、ここまで大騒ぎにならない。誰もが懸命に答えを模索する理由は、そこに次世代のビジネスモデルがあるからだ。インターネットは金にならないと長い間言われ続けてきたが、やり方を変えればビジネスとして成り立つことを、いろんな企業が証明して見せた。そしてWeb 2.0が象徴する次世代のやり方が、人々を虜にしている。

 旧Web 1.0では、まずユーザーは大量の情報に対してアクセスできるようになった。そしてWeb 1.5では、各ユーザーが情報を発信できるようになった。この時点では、いわゆる「ホームページ」というレベルで、各リンクなどはユーザーの手動による設置が必要である。

 そしてWeb 2.0では、受信者が発信者でもあり、コミュニティを形成する。相互のリンクは半自動的に構成され、シームレスにつながるのだという。

 これをビジネスというメガネをかけて見てみると、アフェリエイトやAmazonのカスタマーレビューといったユーザーの反応が商品の価値を補強し、機会損失を埋め、死蔵されたニッチ商品が金を生むようになる、といった姿が見えてくる。

 だが待って欲しい。確かにこれらのシステムが誕生したということは画期的な事ではあるのだが、すでにそれはリアル社会で商売人が体で覚えてきた、「評判商売」と同じなのではないか。

 あそこのものは品がいい、あそこはいつもオマケしてくれる、店員の愛想が良い、というような評判で人が集まるということは、江戸時代では利かないぐらい昔から普通に行なわれてきたことだろう。

 もちろんリアルな口コミと、ネットでの評判を同じ規模で考えているわけではない。だが考え方は単純で、ネット社会ではこれまで消費者が評判を口にするというシステムがなかったから、バーチャル口コミというものが成立しにくかったに過ぎない。

 これをシステマティックにやったらどうなるか。そしてそれがお互いにリンクすることで、リアル社会では限られた規模でしか成立できなかった口コミという広告宣伝モデルが、巨大規模で実現可能というところこそ、Web 2.0型ビジネスモデル描くところであろう。

 これまでは鼻の利く商売人が体で覚えてきた物販のノウハウを、システムが肩代わりする。例えば現在ある形でのアフェリエイトは、すでに誰でもそれなりに儲かるという状況ではなくなっており、そこにはノウハウや商売っ気の有無で勝ち組・負け組の劇的な差が出る世界になっている。大半のアフェリエイターは、情報の無駄撃ちをしているわけである。

 だがそれを、「仕組み」が救ってくれるとしたらどうか。つまりノウハウのシステム化である。Web 2.0が持つ潜在的な魔力とは、この辺にあるような気がしてならない。

Web 2.0的なサービスとは

 ではWeb 2.0の外側に、どのような仕組みが生まれるのだろうか。想像を交えて考えてみよう。

 現時点では、様々なサービスは独立した形態を保っている。ブログは基本的に各個人の持ち物だし、SNSは限られたメンバー間のコミュニティを形成する。Amazonやヨドバシ・ドットコムは独立した物販業者だし、楽天は小売店を束ねることで全体として独立した巨大ショップであるかのような体裁を取ることで成功した。

 例えばこれらが横につながっていくと想像したらどうだろう。SNSの大手mixiでは最近、iTunesと連携して音楽再生リストを共有するという機能を発表した。

 プレイリストを公開することでコミュニケーションを促進し、またそこから「iTunes」や「Amazon.co.jp」の楽曲販売サイトに飛べる。個人の差し障りのない情報を取り込み、そこにほかのサービスと接続していくという姿である。

 これは一見、別サービスとの連携と見られるかもしれないが、見方を変えれば1つのサービスの肥大化と見ることもできる。例えばプレイリストを共有するコミュニティとしては、PLAYLOGの方が早い。

 プレイリストによる共通性を見つけ出し、コミュニティを形成させ、レビューを採用し、楽曲販売に結びつけるというやり方は、うまく回転すれば劇的な効果をもたらしただろう。だがPLAYLOGに欠けているものは、圧倒的な利用者の絶対数だ。こればかりは口を開けて待っているだけで、そう簡単に集まるものではない。

 つまり新しいSNSサービスに加入するということは、人間関係をまた1からやり直しなのである。初めてのSNSがこれなら楽しいかもしれないが、ほかのSNSに参加していると、労力を分散しなければならなくなる。そこが辛いところだ。

 例えば人間関係の情報を、ほかのサービスに持ち込めたら便利かもしれない。例えばmixiでマイミクな関係の人とは、別のコミュニティに行ったら自動的にメンバーが検索され、友好関係者として登録されるというようなシステムだ。

 だが逆に、別のコミュニティで違った人間関係を築きたいと思っている人にとっては、不幸である。人間関係も一つの個人情報には違いない。当然その管理は、自分自身が自由に制御できなければならない。

 “別サービスとのシームレスな連携”の限界は、このあたりにあるのではないだろうか。つまりいくら連携するとはいっても、システムや会社組織としては別のものであり、要はヒトとモノをリンクで結ぶ手段にしか過ぎない。mixiからワンクリックで販売サイトにジャンプできるが、ワンクリックで購入できるわけではないのである。

 今のところそれをやるには、mixiが楽曲販売機能を内包するしかない。するとAmazonにとっては、「今日の友が明日の敵」になるわけである。だが楽曲販売機能を、Amazonがmixiに提供するとしたらどうだろう。つまりAmazonがmixi内出張所をつくるわけである。

 このような方向で考えていくと、各サービスがシームレスにつながるとは、文字通り現在の状態を保ったままで平行につながるというのではなく、お互いがお互いを内包し合うという入れ子構造になるというのが妥当な線なのではないかという気がする。そしてそこまでやれるのであれば、Web 2.0的と言っていいかもしれない。

何が残るのか

 Web 2.0というのは、ある種の発明であったと言える。つまりすでに存在するものをかき集め、それらを総体として名称を付けること自体が、である。

 もう一つ思い出話をしよう。今から約20年ほど前に、「ニューメディア」というキーワードがもてはやされた事がある。それまで、映像コンテンツ商売は、放送に大きく依存していた。だがもっといろいろな手段で顧客にアプローチできるはずだ、というのがそもそもの発端である。筆者も就職試験で、よく論文や面接で聴かれたものだ。「あなたの考えるニューメディアとは?」

 そのニューメディアの大号令が何を生んだかと今になって考えれば、レンタルビデオと衛星放送だけである。なあんだ、と思われるかもしれないが、実は潜在的には大革命だったのである。

 顧客にとってレンタルビデオは、それ以前にレンタルレコードという商売が存在し、それの映像版というだけかもしれない。だが版権を持つ映画会社に取ってみれば、これまでは映画館にもかからずテレビ局からもお呼びがかからず、ただただ死蔵するしかなかったB級C級の映画フィルムが、突然金の卵を産む雌鳥に化けた。

 衛星放送は、これまでは放送局という既得権商売であったところに、コンテンツ制作会社や映画配給会社自身が自分のインフラを持つという夢を持たせた。もちろんそれには多大な犠牲が必要で、うっかり手を出したプロダクションがものすごい勢いで負債を抱え、あっという間に倒産してしまった例も少なからずあった。唯一生き残ったのが、WOWOWとスターチャンネルである。

 過去の例から見れば、抽象的なムーブメントに言葉を与えれば、モノゴトが回転し始めるのだということがわかる。こういう魔法の言葉は、10年に一度ぐらいの間隔で発明される。その次の10年は言わずと知れた、「マルチメディア」の時代であった。これはご記憶の方も多いだろうが、そこで残ったものは MacroMind DirectorとCD-ROMだけである。

 これらのムーブメントは何か残っただけでもマシだった方で、もちろんこれ以外にも数々のキャッチフレーズが生み出され、何も残さずに廃れていった。Web 2.0も、「これのどこがWeb 2.0なんだよ」という安易なモノやサービスが乱立すれば、言葉としての製品寿命は短いだろう。

 パラダイムシフトとは常に、勝ち組だけが存在するというわけにはいかない。結局のところ、「勝ち組2割負け組8割の法則」というのは、過去の例からそうは変わらないのである。

 昔とは事情が違うよ、と言うのは簡単だ。だがこれまでの変革も、みんなそう思っていたのである。今度は違う、オレ達は違うと。

 だからこれからWeb 2.0的ビジネスをやろうとする方は、最終的に何が残るかを予想しながら進んで欲しいと思う。そして「残る場所に居ること」が重要だ。こういう修羅場をくぐってきたオヤジの言う事も、まあ参考程度に心に留めておいて損はないと思うのだがナ。

→ ITmedia +D LifeStyle
posted by Mts! at 00:00 | TrackBack(1) | IT関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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