2007年02月11日

「誰かがやらなくてはならない生産性の低い仕事」はどこまで本当か?

こういう状態に陥らない様、努力しないといけませんね。
強く意識していこうと思います。
「誰かがやらなくてはならない生産性の低い仕事」はどこまで本当か?

世の中的に生産性の低いとされてしまう人には、次の3つのタイプがあります。

(1)多くの消費者があまり高い価値を認めない仕事で、労働力が不足していない仕事に、労働力を提供しようとする人。

(2)同じ仕事を、能率の悪いやり方でやる人。

(3)価値を創造する余地がある立場にあるのに、新しい価値を創造しない人。

まず、(1)から。

ぼくは、いつも丁寧に駅のトイレを掃除してくれるオジサンが大好きですし尊敬しているし感謝しています。

だから、僕にとっては、駅の掃除のオジサンの価値生産性はとても高いです。

だから、ボクはそういういい仕事をしてくれるオジサンの給料はもっと高くなるべきだと思うし、掃除のオジサンの給料を上げるためという理由で、鉄道会社が運賃を値上げすると発表したら、ぼくは喜んで差額を払います。*1

つまり、ある仕事をしている人の価値生産性とは、その仕事をしている人が生産しているサービスを利用する人の主観が決めるのです。

もっと正確に言うと、そのサービスを利用する人の主観の集合が決めるのです。

だから、ボク以外の大勢の人が、ぼくほどには、駅の掃除のオジサンの仕事の価値を評価しないため、結果として、駅の掃除のオジサンの給料はあまり高くなりません。

つまり、結果として、駅の掃除のオジサンの生産性は、低いとされてしまうのです。

もし、マクドナルドの店員さんになろうとする人が非常に少なくて、たとえ高いお金を払っても、店員さんのたくさんいるマクドナルドで人々が買いたがるなら、マクドナルドの店員さんの時給は、もっとずっと高くなるはずです。

つまり、マクドナルドの店員さんの生産性は、とても高くなります。

これは、トラックの運転手さんでも、メイド喫茶の女の子でも、経理の人でも、みな同じです。

また、(2)については、とくに、IT土方な職種で分かりやすい例にあふれています。

たとえば、コンパイラのテスト作業では、大量のテストプログラムを書かなければなりません。

しかし、テストプログラムというのは、ちょっとだけ違った似たようなパターンのプログラムが、非常にたくさん必要です。

とても退屈で、根気のいる作業です。

このとき、能率のいいIT土方は、テスト仕様書から、差分定義だけを記述したテキストファイルを作成し、その定義ファイルから、膨大な数のテストプログラムを自動生成するPerlスクリプトを書きます。

しかし、中には、能率の悪いIT土方さんもいて、なんと、彼らは、一つ一つテストプログラムをファイルコピーしては、エディタで一つ一つ修正していきます。

その能率の差は、10倍以上になることなど、めずらしくありません。

また、ITとは何の関係のない職種でも、同じ仕事を全然違う能率で行うことなどが良く発生します。

たとえば、能率の悪い営業マンは、顧客とのやりとりの回数が非常に多く、話がまとまるのに、とても時間がかかります。能率の良い営業マンは、非常に少ない打ち合わせ回数で、さっさと話をまとめ上げます。

また、(3)も、ITに限らず、たくさんあります。

たとえば、価値を創造する経理マンというのは、経営会議のたびに、少しずつ集計処理方法を改善し、会社の各事業の状況をより把握しやすく、より経営上の問題のキモが見えやすいようにしてきます。

通常の経理処理だけでなく、いろんな角度から集計した添付資料をつけてくれます。

これによって、一見儲かっているように見えるけど、見えにくい間接経費まできちんと繰り入れると、実は廃止すべきだったゾンビプロジェクトが明らかになったり、一見赤字に見えるけど実はそこそこオイシイプロジェクトが明らかになったりします。

一見、退屈な経理の仕事でも、ちょっとした工夫で、億単位の価値創造につながることがあるのです。

結局、この(1)〜(3)のような働き方を避ければ、資本主義的な価値観からすれば、その人の生産性は向上します。

つまり、多くの消費者が労働の価値を認めてくれるような仕事をすること。

しかも、その仕事に対する労働力の供給が少ないような仕事をすること。

そして、同じ仕事なら、より能率良くやろうとすること。

また、同じ仕事でも、創意工夫でより価値のあるアウトプットを出そうとすること。

みんなが、このようにして生産性を向上させることで、幸せになる人はいても、困る人は誰もいません。

なぜなら、その結果、生産性の低い職種から人がいなくなれば、需給バランスの関係で、その職種の生産性は、自動的に高くなるからです。

つまり、結果として、ぼくの大好きな駅の掃除のオジサンの給料が上がるのです。

駅の掃除をやる人がどんどん少なくなり、駅のトイレはどんどん汚くなり、人々は、トイレをきれいにしてくれる数少ない人の価値を、より強く認識するようになるからです。

もちろん、それと同時に、人々にそれを認識させるための広報活動も欠かせませんけど。

結局、「誰かがやらなくてはならない生産性の低い職種」というのは、幻想である部分も多いのです。

なぜなら、ある職種の生産性は、絶対的に決まっているわけではなく、需給バランスによって決まるからです。

誰かがやらなくてはならないのに、やる人がいなければ、労働力需要が供給を上回り、その職種の生産性は自動的に高くなってしまうからです。

つまり、「生産性の低い職種などなく、生産性の低い働き方があるだけ」という理屈も成立するのです。

ただし、それは、必ずしも、丁寧に駅を掃除してくれる人の働き方がマズイということを意味しませんし、それに価値がないということにもなりません。

どんな仕事であれ、丁寧に仕事をすることそれ自体は、常に尊敬に値することです。しかし、そのことと、彼らが、資本主義経済システムにおいて十分な報酬を得られるか、というのは、別の話なのです。

*1:それか、外国みたいに駅のトイレの入り口にお金を入れるところを作り、そこから、トイレのオジサンへのチップが支払えればいいのに。昔は日本にもあったと思ったのに、なくなっちゃったのは、みんながお金を払わないせいだったのかな。

→ 「誰かがやらなくてはならない生産性の低い仕事」はどこまで本当か?


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posted by Mts! at 19:14 | TrackBack(0) | 勉強・スキルアップ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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