2006年10月12日

Coccoさんのコラム「思い事」

休みの日に、立ち寄った近所のカフェにて、Coccoさんが毎日新聞で連載しているコラム「思い事」を読んだ。

Coccoさんの言葉は、すごく重くリアリティを感じる。

自分のすぐ近くにも、癌と戦っている人がいます。

 「心の底からすごく尊敬出来る人。」

一日も早く良くなる事を願っています。

明日へ=Cocco

煙草を吸ったのは20年前。
好きな男の子に“でかい女”と
批難されたのをきっかけに
至って平均身長だったにも拘らず
“成長”を妨げる術として
積極的に喫煙に励んだ。
がんがんばくばく吸った。
ところがどっこい
背はぐんぐんどんどん伸びた。

近しい人の死を通して学んだこと
“死ぬときゃ死ぬ”だから
“やりたいように生きる”
自傷行為も喫煙も恐れなかった。
目に映るもの全てをぶっ壊して。

20才を過ぎて煙草にあきた。
でも夏の終りや冬のにおいには
けむりが欲しくなった
ゆっくり息をするために
煙草は時に必要であると想った。
んなアホな。
豊かさ故の屁理屈だ。

私の友人は
癌の母親を看護し、看取った。
その直後
自身も癌であることが発覚した。
癌の進行と結末を目撃した彼女に
そんなくり返しの体験作業は
あんまりだと想った。
でも
癌はもう治らない病気じゃない。
私の周りは癌だらけだ。
でもみんな生きてる。
医学は凄まじい進歩を遂げた。
昔ほど大袈裟なことじゃなく
ひとつふたつの病を
みんな抱えて生きてる。
そんなもんだ。
もうそんな時代なのだ。

そんな夜、彼女が死んだ。
病院に行ったら本当に死んでた。
1%の生きる可能性に
彼女は手を伸ばし挑んできた。
そのすぐ側で生きる事を許され
不健康街道と知りつつ
煙草を嗜むアホもいた。私だ。
フェアじゃねえなと想った。
煙草を捨てた。

私達の視力は
生まれた瞬間から
老化を始めると聞いた。
そんなの絶望だ。
でも死ぬ為に生きる訳じゃない。
生きて、その果てに待つものが
死であるというだけだ。
絶望の為に生きてる訳じゃない。
光を求めて 私たちは走る。
ただ
終わりはくるけれど。

生きる可能性の1%に
手を伸ばすことが許されるのなら
そしてそれが叶うのなら
私は全力でその1%を掻き集めて
最後まで繋ぎたいと想った。
たとえそれが無様だとして
1秒でも長く人を愛せるように
1秒でも長く歌えるように。
死ぬときゃ死ぬんだ、って
開き直りながら
本当はずっと想ってたこと。
死にたくない。

人生は短い
じゃあ どうやって生きる?
明日 死ぬかもしれない
じゃあ ぶち壊す?
でもその次の明日も見たいんだ。
空も風も星も海も
どうせ無くなるなら 焼き付けて
壊れてしまうなら 抱きしめて
守りたい。
あなたを失くすまえに そうだ
愛してるってくり返す。
あと何回?
あとどれぐらい?

愛してるよ。
聞こえる?
全てが 愛しいね。

1%を掻き集めて
その次の 次の明日も
手を伸ばして。
生きたい。
明日が見たいんだ。
生きろ 生きろ 生きろ。
明日が見たい。
そうだろ?

(題字・絵・文、Cocco)

毎日新聞 2006年10月2日 東京朝刊


→ 想い事。


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